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自分にしかできないことが人生の意義。先代の事業にさらなる革新を
株式会社下園薩男商店
代表取締役社長
下園 正博 氏
丸干しの歴史・伝統を誇り、後世へ伝える「下園薩男商店」
IT長者になり30歳でリタイアして遊んで暮らそうと思っていた。
私が生まれ育った阿久根市は、昔からイワシの丸干し作りが盛んで、今も丸干しを専門とした店が10軒ほど残る全国でも珍しい地域です。1939年に初代・下園薩男が創業した当社も、私が入社するまで商品のほぼ全てがイワシの丸干しでした。
父が2代目となり、幼かった私は家の仕事を何となく理解していましたが、長男として「自分が家業を継ぐ」とは全く思わずに成長しました。父からも常々「おまえは継ぐな。いい大学に行って、公務員になれ」と言い聞かされていました。自身が経験した苦労を子どもにはさせたくないとの親心が隠されていたのでしょう。
ただ、同級生と比べるとゆとりのある暮らしをさせてもらっている実感はあったので、商売自体には良い印象を持っていました。
高校卒業後は、興味のあったITを学ぶため、父の反対を押し切って福岡の情報系の大学へ進学。ゆくゆくはITで起業し、30歳くらいまでに億万長者になって、仕事を辞めて遊んで暮らそうともくろんでいました。
しかしある時、いくら億万長者になっても、自分のやりたいことや目標がなければ、つまらない人生ではないかと気付いたのです。人生を楽しくするのは、自分が生まれてきた意義を求め、自分にしかできないことをすることではないか―。祖父や父が積み上げてきたものを継ぐ、それこそが私の使命だと感じ、大学2年の時に家業の承継を決心しました。
危機感を持って鹿児島へ帰郷。新規事業に取り組み、社内改革も進める。
大学を卒業し、東京のIT関連企業を経て、水産品の商社で5年間営業職に就きました。鹿児島へ帰郷したのは2010年、30歳の時でした。商社時代からイワシの丸干しの消費量がだいぶん減っていると危機感があったので、帰ってきてすぐに、丸干しを未来に残すための新たな対策を考えていました。
ちょうどそのタイミングで、サバの干物会社の業務を引き継ぎ、新規事業を手掛けることに。私ともう一人の社員がみりん干しの作り方を学ぶところから始め、開発した商品は日本で一番大きい生協への納入が決まり、順調な滑り出しとなりました。
社内の作業効率化も進めました。当時、在庫管理は全てノートに手書きで、事務員がページをめくって調べて、担当者が探し回るといった無駄な作業が発生していました。私が得意な分野でもありますので、パソコンを導入し、エクセルで在庫管理できるようにして社員に使い方をレクチャー。1年もすると、みんなメールを使いこなせて、効率がぐんと向上しました。父がワンマン経営だったのが幸いして、“右腕の幹部”といった存在もなく、改革がやりやすく、社員にも喜んでもらえたのが良かったです。
干物売り場に若い人は来ない。おしゃれな「旅する丸干し」を開発。
10年に開発したサバ商品を特産品コンクールに出品したものの、全く評価してもらえませんでした。その悔しさが、丸干しを使った新商品開発の原動力となりました。さまざまな本を読んで勉強したり、鹿児島県主催の若手経営者が対象のセミナー「郷中塾」など各種セミナーに参加したり。郷中塾の実践講座でプランナーやフードコーディネーターの方と出会い、アドバイスを受けながら新しい商品を作ることにしました。
私がまず考えたコンセプトは、洋風の丸干しです。そもそも量販店の干物売り場に若い人がいません。若い人が集まる雑貨店やアパレル店などに置けて、手にとってもらえる商品にしようと、ワインを飲んでいる30代くらいのおしゃれな女性をターゲットに想定しました。ネーミングやパッケージも考え抜き、2年の歳月をかけて13年に誕生したのが、イワシの丸干しをオイルに漬けた「旅する丸干し」(阿久根プレーン、プロヴァンス風、南イタリア風、マドラス風)です。おかげさまで大ヒットし、「2013かごしまの新特産品コンクール」で最高賞の県知事賞、「平成26年(第53回)度農林水産祭」で最高位の天皇杯に選んでいただけました。
干物の新たな魅力を伝える「旅する丸干し」。4本セット(3456円)
ある日突然、父がビルを買った。ユニークな「イワシビル」オープンへ。
「旅する丸干し」を置く自分たちのお店が必要だなと思っていたところ、ある日、父が「3階建てのビルが安かったから買ったぞ! お前、そこで何かやってみろ」と。実は、スタッフと「店を作るなら、海が見える丘の上で、おしゃれなレストランを併設して…」と理想を語り合っていたのですが、父が購入したビルは市内のど真ん中。思い描いていた立地とは少々違いましたが、1階にカフェと雑貨店、2階に水産加工場、3階にホステルを備えた「イワシビル」を17年にオープンしました。
父は事業に対して「時代に合わせて変えていかなければいけない」という認識があったようです。私のすることに反対もせず、「新商品は初めはあまり売れないのが常だから、気落ちすることはないぞ。無理をするな」と見守ってくれていました。
常識にとらわれない商品作りをしたいとの私の思いに賛同してくれる、熱意ある仲間にも恵まれています。個性豊かな社員と、焼き芝エビの干物をオイルに漬け込んだ「旅する焼きエビ」シリーズ、クラフトコーラ、ジビエを使ったソーセージなどさまざまな商品を誕生させました。22年には鹿児島県枕崎市に野菜を中心としたピクルスなどを製造販売する「山猫瓶詰研究所」をオープンする予定です。イワシの丸干しもさらなる輸出、直販の拡大を目指します。
イワシの漁獲量は安定せず、徐々に減っています。リスクを分散させるためにも、食をベースにあらゆる事業を企画していく必要があります。私としては、自分が住みたい街をつくるために、「楽しいからやっている」という感覚です。地方のこれからの課題は人手不足です。働く人がいなくなるのが一番の問題。若い人が「ここで働いてみたい」と思える事業を生み出し、「阿久根っていいよね」と人々が集まってくる街づくりをしていきたいです。
水産以外の商品開発やジビエの食肉加工事業などもスタート
カフェや工場、ホステルが入る珍しい形態の「イワシビル」
<アトツギへのメッセージ>
自分でリスクを負う覚悟を持つ!先代と異なる方向性のものをつくり出そう。
既存の事業があるのは良い事ですが、時代の変化に合わせて自分たちならではの事業に変えていかないとジリ貧になるのは目に見えています。同じ事業を続けていれば衰退は避けられませんし、現状維持では先がありません。自身の特徴を生かしながら、先代の蓄積を活用し、全く違う方向性のものをつくりあげていくことが鍵になります。
親を説得するのは簡単なことではありません。しかし失敗したら自分のせいだという覚悟を持ち、リスクを負って、親の反対を押し切ってでも実行する必要があると思います。
(取材・編集:2021年12月)