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現場の困りごとに耳を傾けながら、
社会の変化に合わせてずっと続く企業へ
未来航路株式会社 代表取締役
河原 良平 氏
父と売り込みに奔走するも、製品を使ってもらえない苦しみ。
日本各地でウォーターフロント開発が脚光を浴び始めていた1987年、それまで都市開発や公園の設計をしていた父が「未来航路株式会社」を立ち上げました。視察で訪れた米国の港には“海を感じさせるもの”が必ずあり、日本とは全く違う景色に感動したそうです。港のロケーションを大切にした設計や製品作りへの思いが強くなり、起業を決意したといいます。当時、私は小学生でした。中学、高校時代から家業を手伝っていたので、いずれ自分が後を継ぐと自然に考えるようになりました。
私が入社した99年は、当社が本格的に港湾・漁港用の車止めの開発を手掛けるようになった時期でした。当時、社員は私を含めて4人。父と営業に回り、何とか仕事をいただき設置現場へ、帰ってきたら2人で製品を塗装し、梱包して出荷する…といった日々でした。工場は一つだけ、フォークリフトもなく荷を手積みして、全て自分たちでやっていました。
案件があると九州のさまざまな港に売り込みに行くのですが、公共事業での実績が乏しいために製品を使ってもらえず、大変な苦しみを味わいました。
会社がばかにされるだけだ。泣いて電話した忘れられない日。
今も忘れられないことがあります。新人時代、ある県庁の漁港課に営業へ行きました。製品カタログなどなく、車止めの模型を撮影した写真と実物をカットしたサンプルを持って、いかに優れた製品かを説明しました。私たちの鉄製の車止めを見た職員たちから「さびるし、重い鉄をなぜ使うのか」と質問された時、入社したばかりの私は「いいものだから」と答えるだけで精いっぱい。きちんと伝えきれず、相手にしてもらえませんでした。駐車場に戻った私は、泣きながら父に電話をしました。「自分が営業したら、会社がばかにされるだけだ。もうやりたくない」。父の返事は一言、「よか」。「ばかにされていいけん、頑張って営業してこい」と背中を押されました。
気を取り直し、今度は港湾課へ向かうと、課長さんが快く話を聞いてくださった上、「コーヒーを飲んで帰り」と。「兄ちゃん、よう頑張っとうね。これからもしっかりやれよ」という温かい言葉が心に染みました。厳しい状況でも認めてくれる方たちがいて、次第に製品も評価され、実績が積み上がっていきました。何より自信となったのが、お客さまからの「この車止めじゃないとだめだ」という声でした。
現場を大事にする文化が強み。港へ足を運び、アイデアを考え出す。
私たちのモットーは「現場主義」です。各地の港へ足を運び、さまざまな現場の声に耳を傾けることがアイデアのヒントとなります。港によって、入ってくる船もさまざまです。港湾に携わるいろいろな立場の人たちの課題を解決する製品の開発、改良に取り組んでいます。
車止めを移動する必要があれば可動式の製品を、港にフォークリフトがなければ人力で動かせるキャスター付き可動式に。二つの場所で使いたいというニーズには、回転移動できる開閉式など、現場の困り事に対応した付加価値のある製品を開発してきました。
お客さまの喜びは、社員の達成感や自信となります。安全性の向上、課題の解決に向けた“現場を大事にする文化”、それが当社の強みです。
機能、メンテナンス、施工性に優れた新発想の車止め
建設現場の課題を解決する「スラッシュカット工法」を開発
2005年に福岡県西方沖地震、11年に東日本大震災が発生し、多くの港が甚大な被害を受けましたが、当社の車止めが評価される機会にもなりました。他社と違い、当社の製品は再利用ができる利点があり、価格は一番高いのですが、自然災害などが起こった場合の復旧費用などを考慮すると、結果的にコストを削減できます。こうしたことから、博多港や東北各地の港湾の復旧工事には当社の車止めが採用されました。
経験のない分野からの依頼。子どもたちの笑顔で挑戦を決意。
12年のある日、米国人の親子が当社を訪ねてきました。発達障害の子どもたちがトレーニングで使用する感覚統合療育用遊具を販売・製造をする工房を運営されていて、「『トランポリン』のフレーム部分を作ってほしい」との依頼でした。経験のない分野ながら、父の「困っているなら作ってあげよう」という一声で4年ほど受託していましたが、諸事情からその工房が破産してしまったのです。
製造を続けるか、やめるのか。「これからどうしようか」。社員と話し合い、遊具を納品している特別支援学校へ行ってみることにしました。そこには、遊具で楽しそうに飛び跳ねる子どもたちの姿が。社員たちは「やり続けましょう」と言ってくれました。港湾の仕事を終えた夕方から、遊具のある施設を探して「困りごとはないですか」と営業に行くと、山のように課題がありました。クレームを持ち帰っては、みんなで改善案を出し合いました。難しい挑戦でしたが、港湾の現場で培った改善の習慣があったからこそ乗り越えられました。社員一人一人が「お客さまに納得してもらえるにはどうしたらいいか」と考えられるようになっていて、大きな成長を感じました。
子どもたちの笑顔を引き出す感覚統合療育の遊具
つり遊具「スウィング」の開発では、それまで溶接の仕事をしていた社員が縫製を手掛け、才能を開花させています。長く使い続けていただくためには、定期的な点検やメンテナンスが不可欠です。20年に安心、安全な感覚統合療育遊具を企画、製造するS・I事業部を発足させ、顧客管理を徹底し、お客さまの満足を追求しています。
※「トランポリン」はセノー株式会社の登録商標です。当権利者の許可を得て使用しています。
守りと攻めを使い分けて。必要とされる会社であり続けたい。
入社以来、さまざまな経験と出会いの中で「ものを作り、販売する会社として成長させていきたい」という思いを膨らませてきました。創業者の父とは、しょっちゅうぶつかりました。私は社員とその家族の幸せを守る責任がありますから、会社の継続に重点を置いています。社会の変化に合わせながら変わり続けるのは、相当のパワーを必要とすることでもあるからです。一方、父は「とにかく新しいものをつくれ」という志向。この方向性の違いが、一番大変だったかもしれません。何度も議論を繰り返しました。
私が18年に代表取締役に就任する際、私の軸となる思いを経営ビジョンとして、「企業とは人」「企業の情熱」「企業の力」「企業の責任」の四つに込めました。社員がここで働いてくれるから事業が成り立ちます。企業を成長させるのは人です。だからこそ大切に人を育て、みんなで知恵を出し合い、必要とされる会社であり続けたいです。
全社員がアイデアを共有する「全共会」を月1回開催
現在、社員は24人。私は高校時代、ラグビーに打ち込んでいました。その経験から、自分の目が行き届く理想的な人数だと思っています。ラグビーはディフェンス(守り)が強いチームが勝ちます。会社も一緒で、アタック(攻め)だけだと疲れてしまう。社会の状況を見ながら、守りと攻めをたくみに使い分けることが重要です。
今後は、港湾の事業で世界市場への進出を目指しています。遊具は療育用だけでなく、一般向けのトランポリンの製作と販売も手掛けていきたいですね。将来は、自分たちが作る遊具を備えた施設を開園して、子どもたちの療育に貢献するのが夢です。
<アトツギへのメッセージ>
後継者ならではの見え方を大切に、意思を持ち、
自分を信じて進めば良い方向へいける。
社長に就任してまだ4年なのであまり偉そうなことは言えませんが、自分の思いを持ち、自身を信じることが大切なのではないでしょうか。「なるようにしかならない」とも思っています。その中で、強い意思を持って行動すれば、会社は良い方向へ変わっていくはず。自分がだめだと思ったら終わりですから。後を継ぐ人は、先代とは違う見方ができます。その特別な部分を大切にして、自信を持って会社を継いでほしいです。
(取材・編集:2022年1月)