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2021.12.24

老舗菓子メーカーにおける親子承継、成功のカギと支援のポイント

【鼎談】

  • 後藤製菓

    後藤 重明 氏

  • 後藤製菓

    後藤 亮馬 氏

  • 大分県事業承継・引継ぎ支援センター サブマネージャー

    栗山 浩一 氏

不易流行を重ねて守るふるさとの銘菓

創業102年の老舗菓子舗、5代目を承継

  • 私は一昨年11月から後藤製菓さんの事業承継のお手伝いをしてきまして今年の7月に完了しました。今日はその体験談を話してもらおうと思っています。息子の亮馬さんは大学を卒業されてすぐに家業に入られたので、後継者問題はありませんでした。先代の重明さんは個人事業主として35年間事業をなさり、売上高は年間1億円超えるようなお菓子メーカーさんです。

  • 今年で創業102年を迎える老舗の煎餅屋の5代目です。もともと煎餅一筋でやってきましたが、今では清涼飲料水の製造や観光業など事業を拡大しています。代表で作っているのが臼杵煎餅です。生姜と砂糖で作る蜜を職人が丹念に手塗りをする、大分独自の生姜煎餅です。この伝統を未来に継ぐために「不易流行」と社是を掲げています。守るために変わるという意図で、臼杵煎餅も時代に合わせて味わいや食感も変わります。臼杵煎餅の会社は大分県に何社もありますが、私どもならではの特徴として「不易流行」の商品開発に力を入れています。

    私は今年31歳になります。人口3万人の臼杵市から一歩も出たことがない生粋の地元人間です。大学卒業後すぐ家業に入りました。私にとって家業とは、身近な存在で、父の商売人としての姿を目に焼き付けておりましたし、自宅横の工場では職人さんたちが働いていました。そういう環境でしたので小さい時から後を継ぐのは当然でした。8歳の時の作文に(将来の夢を)「俺は後藤製菓を継いでいる。商売繁盛。新しい菓子を作っている。そして大もうけ」と書くほどです。

    入社後は、臼杵煎餅が置かれている現実とのギャップを思い知ります。若年層だけでなく中年層のお客様にも支持されていませんでした。取引先も重要視しておらず品切れしても発注してくれない店もありました。そうこうしているうちに会社の100周年で、初の新規事業に挑みました。大分臼杵という文字をローマ字で逆から読んだ「IKUSU ATIO」(イクス・アティオ)という「不易流行」を体現した新ブランドを設立しました。例えば臼杵煎餅のサイズを小さくし、食感を軽くし、生姜以外の味のバリエーションを提供しました。一方で、若い人との距離感を縮めるためにパッケージを刷新したり、手塗りをする伝統製法は残しつつ地元の有機栽培の生姜にさらに磨きをかけたり、煎餅をあえて砕いてチョコレートと合わせるような大胆なアレンジをしたりして、一貫して「不易流行」を体現することを徹底しました。結果として売上の拡大や職人6名の新規雇用といった成果を上げることができました。

  • 私たちはこの小さな町で100年以上事業を営んでいますが、循環型の老舗になることを目指し、今年の元日にはSDGs宣言をしました。一例として環境保全の取り組みを紹介します。わが社で使う生姜は自社で加工しているのですが、絞り汁しか使用しないため、年間最大2トンの絞りかすが産業廃棄物になっていました。この膨大なフードロスを削減するため、搾りかすを生姜パウダーに再加工し、それを使った商品を開発することで昨年は廃棄をゼロにできました。こうした取り組みで農水省主催の「フード・アクション・ニッポンアワード2020」を受賞し、星野リゾートさんから選んでいただいたのをきっかけに新たなチャネルの創出にもつながりました。

    こんないい話ばかりではなく、新型コロナウイルスの影響も非常に受けています。そういう中でもコロナに負けないように臼杵煎餅を再構築するような取り組みも開始しようとしています。例えば臼杵煎餅は観光の手土産として活用してもらっているため、コロナ禍で消費量も落ち断続的な休業も続いています。そんな中、過去の歴史をひもとくと江戸時代には保存食として、また数十年前には缶に入った臼杵煎餅が家庭に常備されていました。災害が続く今の世の中で、大分の保存食として各家庭にもう一度常備されるポジションを獲得できるのではないでしょうか。また、大分空港は来年、宇宙港になるのですが、保存食は宇宙食と近いんです。そういう着目点から宇宙食の市場も開けてくるのではないかと考えています。われわれだけなく地域の人もわくわくするような元気の素にもなれるんじゃないかと思っています。

継ぐ側の成長に合わせて進めた承継準備

  • 8歳のときの作文、私も感動しました。宇宙食開発で地元から宇宙への挑戦、夢が大きいです。経営承継は人の承継、資産の承継、目に見えない経営資源の承継と3つあります。まず人の承継、後継者育成にどのように取り組まれたのかを重明さんにお話しいただきます。

  • 私も大学を卒業して「帰ってこい」と言われて、やったこともないし、何もわからない中で一から覚えていきました。当時、私は大学4年生で銀行から資金を借りられないので母親の名義で借りました。売上からするとひどいような借金で、本当に言葉では言い表せないくらい大変な思いをしました。私は結婚が遅くて長男は40歳の時の子でした。私の休みは1月1日のみであとは全部働いていましたが、この子が後を継ぐならちゃんとしようと思い、休めるような体制にしようと考えました。将来を考えた時に、М&Aをしました。紙箱製造の会社が辞めるということで地域の小さいお菓子屋さんたちが困っていたので、将来は観光土産のパッケージとか作れるからと思い、この会社を買いました。息子が高校の時には本格的に継ぐという気持ちになっていましたので、「臼杵石仏」の近くでやっていたレストランをМ&Aしました。400人くらい入る大きなレストランでしたが私もレストラン経営の経験もないし赤字続きで、工場にしました。

  • 一般的には事業承継を考えるのは経営者が還暦を迎えたから、病気になったからというきっかけが多いのですが、後藤製菓さんは息子さんの成長に合わせて段階的に準備をなさってきました。亮馬さんはそういう話を聞かれて、承継をどういうふうに感じられましたか。

  • 私たち親子の場合、自然と継ぐもの、継がせるものという意識で人生を送ってきて、常に心の準備が出来ていました。また、父が事業の裾野を広げたりする過程で、継ぎたいと思う会社を作ってくれ、私が夢に向かう成長をサポートしてくれたことに感謝しています。

  • 親族承継の場合「よその会社に入って勉強してこい」というケースはよくあるんですが、大学を出てすぐに家業に入られた亮馬さんは不安とかご苦労とかありましたか。

  • 社会人経験がなくて右も左も分からないまま家業に入りましたが、父の教えとして「人のご縁を大切にしなさい」「人脈をつくりなさい」と言われ、経験不足は経験のある先輩方から話を聞いて吸収しようと思いました。私は元々すごい人見知りでコミュニティーに属するのは苦手でしたが、なんとか克服しようと、例えば地域の経営者の集まりに属したり、異業種交流会に参加したり、専門家の話を聞いたりしました。

  • 事業承継で苦労した点を調べた調査結果では、親族承継だと取引先との関係維持、後継者を補佐する人材の確保が上位に挙がっています。この2点についてはいかがですか。

  • 取引先との関係は、息子が会社に入った時から営業の時に一緒に連れていって紹介しながら、次からは自分だけで行かせて、得意先を覚えさせていきました。商工会議所の関係者も一人一人紹介して少しずつ人脈を広げさせていきました。人材の確保は、息子がまだ若いからなかなかいないんです。親子というのは私が上からガーッと言うから相談しにくいんですよね。ですから支援センターに頼って、また私とは違った考え方を皆さんお持ちですから、刺激を受けて良くなると思います。

承継を終えて―よかった点と反省点

  • 不易流行を理念として事業を展開しておられることについてお話をしていただけますか。

  • 入社してすぐに創業100年というきっかけがあったので改めて歴史の重さを感じました。老舗には昔から通貫した理念が掲げられているというイメージがあったのですが、後藤製菓には無いなと思いまして、歩みを調べると、「守るために変わる」ことへの挑戦を代々やっていることが実績としてありました。対外的に会社の説明をした時に、どちらかの教授に「それって不易流行だね」と言われまして、意味を調べるとすごくしっくりきて、言葉として掲げるべきだと考えました。それによって新しい事業をするときにも迷いが無くなると思いますし、自分だけでなくて従業員も同じ方向に向かっていくためにも必要だと思います。

  • 後藤製菓さんの場合、トップダウンではなくて今まで取り組まれたことを明文化していくという、地に足のついた経営理念になったと思います。亮馬さんは昨年開かれたアトツギ甲子園(後継者候補が新規事業アイデアを競い合う中小企業庁のピッチイベント)に参加されましたが、参加のきっかけと役に立ったことをお聞かせください。

  • きっかけは、事業引継センターさんの紹介で後継者育成塾に通っていたことです。その中でアトツギ甲子園の話を聞きまして、本当は表に出るのは苦手なのですが、出場して経験が少しでも蓄積されればいい、また、私が露出することで臼杵煎餅の知名度向上にもつながると思いました。参加して良かったことは2つあります。1つは「IKUSU ATIO」(イクス・アティオ)という新事業の内容について、専門家の方と壁打ち(自分の話を聞いてもらうこと)をする中で当時、全然深いところまで考えていなかったという甘さを痛感することができました。事業展開も含めた2段階ブランディングの機会にもなりました。もう1点は、実際に東京での15名をはじめ全国の後継ぎの方の取り組みを知り、また面識ができることになって、ワクワクする挑戦をされている人が多いと感じることができたことです。私は地元から出たことのないので視野が狭くならないように気をつけていたのですが、だからこそ、そのときすごく視野が開けてきて、挑戦心をくすぐるような熱さをいただけました。

  • 承継について良かった点、反省点があればそれぞれお話しください。

  • わが子ながら良くできた子だと思っています。ただ、親がこうしなさいと言うと最近、逆らうんですね。だから会えばけんかするから、なるべく会わないように心がけています。

  • 私も約10年働いてきて自分なりの意思とか意見が出来て、主張するようになったのですが、父と衝突すると現場に迷惑をかけてしまうので「今は父の時代だから自分の時代になるまで待とう」と思って意見を言わない方向になっていきました。私が変に主張すると父の承継意識が下がるんじゃないかなどと要らぬ心配をして、腰をすえて父と「こういう風に変えていきたい」という深い話をしない中で7月に承継してしまいました。これではいけないと思い、9月にしっかり意見を言って衝突したんです。後継ぎの方に伝えたいことは、結果として衝突することがあったとしても、承継前にしっかり話し合うべきだということです。

  • 後藤製菓さんの成功のポイントは、事業承継する側と支援する側が車の両輪のように適切なタイミングで連携しながらまとめられたからだと思っています。後藤製菓さん側に積極的に関与していただいて、支援者側も途切れない支援ができたのかなと思います。

  • 亮馬さんが社長に就任されたあとに大げんかされたと言われましたが、どういうテーマで衝突されたのでしょうか。

  • 私は1年365日休まずに仕事をしていました。息子が社長になって、勤務時間をだんだん短くしたんですね。私も少しでも役に立ちたいという親心があるので、3時間とか5時間とか勤務していたのですが、あれが悪いこれが悪いと言うもんだからカチンときてですね。観念が違うから行き違いがありまして。私のМ&Aの基本的な考え方は「もうけのためにするんじゃない」です、地域が困っているから出来るならしなさいと。今回の飲料水のМ&Aも最初は反対したんです。息子がどうしてもやりたいというから賛成したのですが、またトラブルがあって。話をすればけんかになるから老兵は消え去るのみです。

(取材・編集:2021年10月27日)

後藤製菓

大正8年創業、2019年に100周年を迎えた臼杵煎餅の製造元。
亮馬氏は大学卒業後、後藤製菓に入社。2021年1月には、中小企業庁主催「アトツギ甲子園」で全国15名のファイナリストに選出されるなど、新規事業への取り組みも加速。
2021年7月、重明氏、亮馬氏ともに満を持しての事業承継を果たす。