INTERVIEW

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  • 4代目が挑む、モヤシの可能性。事業承継はチャンスだ!

九州で初めて太モヤシの量産に成功し、モヤシの製造販売業で九州第2位の規模を誇る株式会社川﨑食品(佐賀県神埼郡)。創業96年の歴史があり、2020年には3代目社長の川﨑俊明さん(現会長)から息子の川﨑紀明さんに親族内承継を行った。佐賀県事業承継・引継ぎ支援センター(以下、支援センター)のサポートにより、事業承継計画の策定と経営者保証の解除も実現。承継の舞台裏や現在の取り組み、将来展望について、川﨑俊明会長と紀明社長、支援センターの承継コーディネーターである江越剛さんに話を伺った。

目次

お客様の要望からはじまった主力商品

−川﨑食品の概要について教えてください。

紀明氏:1927年に私の曾祖母が佐賀で創業した会社で、モヤシの製造販売を続けてきました。2014年には佐賀県吉野ヶ里町の工場を増床してカット野菜の事業をスタート。2020年には同県みやき町の工場を買収し、キノコの生産も始めました。

−主力商品は「東京もやし」。佐賀県の会社がなぜ「東京」というキーワードを付けたのでしょうか。

俊明氏:もともと九州や関西は細モヤシが主流で、東日本エリアに太いモヤシが流通していた中で、ちゃんぽん店などから「太モヤシがほしい」という要望がありました。そこで私が入社後に数年がかりで研究して太モヤシの量産体制をつくり、細モヤシと区別するために「東京もやし」というネーミングで売り出したところ、スーパーから売り上げを伸ばしていきました。

紀明氏:今では全国的に太モヤシが約9割を占めています。弊社でも2017年に細モヤシの生産をやめて、太モヤシだけになりました。

東京もやしを含む商品ラインアップ

家業を継ぐことは宿命

−紀明さんに会社を引き継いだ経緯を聞かせてください。

俊明氏:昔からわが家は会社の中に自宅があり、私自身、子どものときから家業を身近に感じて育ちました。今はモヤシに自動で散水していますが、以前は4時間置きに夜中でも水をかけにいく祖母や親の姿を見て、小学生のとき作文に「オートメーションの工場を造りたい」と書いていました。そんな気持ちで、自分が後を継ぐのは当たり前の感じだったのです。ですから、私も子ども4人の中で誰かが継いでくれるといいなと思っていたところ、長男が継ぐ意思を示してくれて、ありがたいと思いました。

紀明氏:私にとっても、会社を継ぐのは自然な流れでした。会長と同じように、子どもの頃からモヤシの事業は生活の一部。高校で寮生活に入り、大学や大学院では機械工学を学びました。いろいろな会社のことを調べたのですが、いまひとつ自分の将来像が描けませんでした。さまざまな仕事がある中で、唯一家業を継ぐことはすんなりイメージできたので、後を継ごうと決めました。そこで父に話し、在学中の21歳で取締役として会社に入り、学業の傍ら同業のイベントなどに参加して、将来に向けて勉強しました。

−その後はどのように承継されたのでしょう。

俊明氏:親子の事業承継はさまざまな考え方があり、まず子どもを入社させて、部長など管理職から取締役に上がっていくケースをよく聞きます。しかし、私は本人に経験がない中で管理職を務めるのは無理で、社員も反発するかもしれないと思いました。そこで大学院を修了後は1年程度別の企業で勉強させ、入社時は最初から副社長にしました。社内外に後継ぎとして認識してもらうとともに、本人も自覚を持ってほしいと考えたからです。今振り返ってみると、最初から役付きにしたことが良かったと感じています。

−入社されるときに心配だったことはありますか。

紀明氏:当時は60数人の従業員がほぼ年上で、社会経験も乏しい私が年上の部下を持ち、どうなるだろうという不安はありました。「教えてください」というスタンスでいることで、協力してもらう雰囲気になったと思います。2019年の経営計画発表会で来年社長が交代すると従業員に告知し、準備をする中でコロナが広がってタイミングの悪さを感じましたが、覚悟を決めて2020年6月1日に交代しました。

−支援センターとしては、どのようなサポートをされましたか。

江越氏:まずは親族内承継の「事業承継計画書」をつくる手伝いをしました。その後、経営者個人が会社の借入金の連帯保証人となる経営者保証を解除する支援を行いました。また、紀明さんは勉強熱心で、私たちが開催した「後継者経営塾」にも参加しています。

−後継者経営塾はどんな塾でしょう。

江越氏:後継者が経営に必要なことを学び、経営者仲間をつくることを目的とした塾です。中小企業診断士などを講師として、経営理念や財務、マーケティング、事業承継計画などを学びます。毎年、無料で開催していて、向上心のある方々が集まり、集まった企業同士がコラボしようという話になることもあります。


−会長が支援センターを利用されたきっかけはなんでしょうか。

俊明氏:支援センターの方が来られて、「何かあれば相談してください」と誘ってもらったのが始まりです。

江越氏:川﨑食品は親子で意思疎通できていましたが、親族内承継の場合、私たちのような第三者が入ることでようやくお互いの本音を伝え合えるというケースもあり、事業承継を進めていない事業者の方々へ積極的に声をかけるようにしています。

−紀明さんは支援センターを利用したり経営塾に通ったりして、いかがでしたか。

紀明氏:既存の型にはめるのではなく、うちの会社の実態を知っていただき、その上でやり方などをご提案いただけたことが良かったと思います。あとは、やはり経営者保証を外すために一緒に動いてもらい、実際に解除できたのは助かりました。

モヤシ製造の作業風景

創業100年へ柱固めに注力

−社長に就任された後、新たな動きはありますか。

紀明氏:社長になったタイミングでみやき町の工場を買収し、キノコの事業を始めました。これまでのモヤシやカット野菜とは全く違う商品ということで、新規事業の柱として育てていくつもりです。

−俊明さんから見て、社長を交代した後に会社が変わったと感じることはありますか。

俊明氏:昔からいる従業員にとっては、社長が導入した週休2日制、有給休暇の積極的消化などは大きな変化でしょう。これから先を考えると、私が「こうした方がいい」「ああした方がいい」と言わない方がいいと思っています。社長交代後は徐々に役割を移行して、今はほぼ全て任せています。私は週1回程度の勤務で、「分からないことがあれば何でも聞いて」というスタンスです。

−2027年には創業100周年を迎えます。今後の展望を教えてください。

紀明氏:モヤシは工場で作ることができて、安全・安心な野菜を安定して供給できることが1番の強みだと思います。カット野菜もキノコも、通年安定して供給しやすい食材です。まずはこの3つの柱をしっかり固めて、さらなる展開を考えていきたいと思っています。

川﨑食品佐賀工場の前に立つ川﨑俊明さん(左)と紀明さん(右)

継ぐモノへのメッセージ

−最後に、事業承継を検討している方にメッセージをお願いします。

紀明氏:私は、社長として従業員の生活を背負う責任、食品を作る会社として消費者の生活を背負う責任という、重大な2つの責任を担っていると考えています。その責任を果たすために働くやりがいは、サラリーマンでは味わえない特別なものだと思います。事業承継をチャンスと捉えて、前向きに取り組んでみてはいかがでしょう。厳しい環境下にある業界でも、事業承継をキッカケとしてV字回復や独り勝ちの可能性はいくらでもあると思います。

俊明氏:先代からすれば、後継者は経験年数が違うわけで、同じことをできるはずがありません。それでまだ継がせられないと思っている方が多いようですが、後継者の候補がいらっしゃるなら、信じてやらせてみたらいいのではないかと思います。

(取材・編集:2022年12月15日、記事再編:2023年)

株式会社川﨑食品 代表取締役
川﨑 紀明 氏
1989年佐賀県佐賀市生まれ。大学院修了後、ベンチャー企業で勤務。2014年株式会社川﨑食品に入社、2020年に代表取締役に就任。
株式会社川﨑食品 取締役会長
川﨑 俊明 氏
佐賀県事業承継・引継ぎ支援センター 承継コーディネーター
江越 剛 氏
会社概要
株式会社川﨑食品
佐賀県佐賀市唐人1-2-31
https://www.kawasakisyokuhin.jp/
各種もやし類の製造及び販売、野菜類の加工及び販売、各種きのこ類の製造及び販売