INTERVIEW

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波佐見の伝統を未来へ紡ぐ。3代目後継ぎが描く町のカタチ。

1946年創業者・児玉薫氏がリヤカーで陶磁器の卸売をはじめ、1957年に肥前地区一帯の焼き物商社として設立した、西海陶器株式会社(長崎県東彼杵郡)。シンガポール進出を皮切りに、アメリカ、中国、ヨーロッパへと海外拠点を設け、国内だけでなく世界へ波佐見焼のテーブルウェアを届けている。2代目の児玉賢太郎さんに、波佐見焼の産地にある企業として大切にしていることや、今後の展望を伺った。

目次

先人たちへの感謝を胸に、会社を守り続けることが後継ぎの使命

−家業を継ぐことは以前から考えていたのですか。

児玉氏:幼い頃から家業はとても身近な存在でした。幼稚園のアルバムには「将来の夢、西海陶器社長」と書いていたくらいで。その気持ちに何の迷いも生じなかったのは、いつも楽しそうに仕事をする父の姿があったからかもしれません。

ここ波佐見の地に陶器の技法が伝わったのは400年前。ただ、長い歴史がある一方、つい20年ほど前まで「波佐見焼」という名は存在していませんでした。この地でつくられる焼き物は「有田焼」として流通していたからです。ところが、2000年頃に産地表記の基準が厳しくなり、「有田焼」として出荷ができなくなってしまい、「波佐見焼」としての新たな道を歩んでいくことになりました。今の”おしゃれで可愛い”世界で知られる「波佐見焼」ブランドは、先代たちの挑戦と誇りの賜物なのです。

戦後、祖父がリヤカーで焼き物の行商を始めて75年。今では従業員100名を超え、アメリカ・中国・ヨーロッパなど複数の支社をもつまでに成長しました。種をまいてくれた祖父。育ててくれた父。土壌を守り続けてくれた社員たち。その感謝を胸に、明るい展望と共に次世代まで会社を守り続けることが、私の使命。先人たちへの恩返しです。

児玉盛介会長(右)

若い感性で掴んだ新たなビジネスチャンス。「HASAMI PORCELAIN」

−承継してからの取り組みを教えてください。

児玉氏:父が築いてくれた西海陶器グループ。父はカリスマ社長で、海外支社に対しても「自分たちの売上は自分たちの力でとってこい」というスタイルで。国によって、取り扱う商品も違えば、方針も違う。グループとして統一できていませんでした。そこで、承継に向けて、グループとしての「総合力」を足していきたいと考えました。始めたのは、グローバルデザインによる自社ブランドの構築です。戦略をもってブランド開発できれば、西海陶器グループとして確固たる地位を築くことができます。

自社ブランドの1つに「HASAMI PORCELAIN」というシリーズがあります。アメリカで活躍するデザイナーと共同でデザインし、生産は波佐見のメーカー数社に関わってもらって誕生させたものです。

「HASAMI PORCELAIN」のテーブルウェア
−商品開発でこだわった点を教えてください。

児玉氏:波佐見焼は、工程毎に分業でつくられるので、昔から町の多くの人が窯業に携わり、団結心が根付いています。当社のブランド開発も、気づけば町をあげた大プロジェクトになっていました。

このシリーズでは、カラーやデザインに敢えて装飾性を持たせていません。これまでの”おしゃれで可愛い”波佐見焼のイメージとは真逆だったので、試作品を見た父は「こんなもの食器じゃない!」と言っていましたね。が、ふたを開けてみると、逆にその自然な佇まいがどの国でも”クール”だと、増産体制を組まなくてはならないほど人気商品になったのです。

さらに、アップルのロゴを施した「HASAMI PORCELAIN」製アップル社用のマグカップも製作することになりました。

「HASAMI PORCELAIN」製アップル社用マグカップ アメリカのアップルストア本店とアップル・スタジアムの2店舗限定販売

父は、その時私への代替わりを決心したようです。「若い感性で時代のニーズをキャッチして、新たなビジネスチャンスを掴んでほしい」という言葉と共に、2016年に”バトン”を繋いでくれました。

産地の魅力を最大限引き出し、心に響くモノづくりを

−創業時から引き継がれていることはなんですか。

児玉氏:当社には創業から「地域・業界の発展が、ひいては自社の発展に」という理念があります。父からも「事業をどれだけ大きくしても、波佐見から軸をずらすなよ」と言われました。先人たちの想いでもあります。

その想いは、最近始めた自社メディア「Hasami Life」にも通じます。当社の商品だけでなく、文化、人、自然…波佐見に関する色々なコンテンツを発信しています。

社員には「商品を売っていかないと」と言う者もいたのですが、私はそれよりも産地の「コト」を伝えたかった。歴史の重みや先人たちの試行錯誤、焼き物・地元に対する誇り。これらの物語が、波佐見焼の価値を高めていくのです。大切にしたいのは、モノの売買だけでは得られない、心に響くモノづくりです。

未来の波佐見をデザインする新しい町のカタチが次世代への”バトン”

−波佐見焼の産地はいま、どんな状況なのでしょうか。

児玉氏:波佐見では「クラフト(窯業)・ツーリズム(観光事業)」という新しい挑戦が始まっています。地域資源を活かし、この地でしかできない体験を通して、世界中に波佐見のファンを増やしていく取り組みです。人気観光スポット「西の原」も、父がそのために、製陶所だった古い建物を手直しし、アーティストや作家など若者の活動の場として再生させました。今、波佐見は大きく変わろうとしているのです。

ヒト・モノ・コトが集う波佐見の文化発信地「西の原」
窯業を主軸とした観光事業「クラフト・ツーリズム」のキックオフミーティング(経済産業省ローカルクールジャパン推進事業)
−波佐見焼を扱う企業として、地域とどのように関わっていきたいですか。

児玉氏:ただ、この町を未来へ繋いでいくには、これまでもそうだったように、これからもサスティナブルでなくてはなりません。私の夢は、そんな「波佐見」をサスティナブルな町・世界の「HASAMI」へブランドを築くこと。

そのためにも、私たちはより深くこの地のアイデンティティを追求していかなくてはなりません。20年前、自分たちの焼き物のアイデンティティを探し、世界の「波佐見焼」ブランドへと成長させた父たちの歩みと同じように。私たちの歩みもまた、波佐見の歴史に刻まれていくのです。

焼き物を通して遠い昔や未来、世界と繋がれる、この小さな町の可能性は無限大。これから描いていく波佐見の新しい町のカタチ、私が繋ぐ次世代への”バトン”です。

継ぐモノへのメッセージ

−最後に、事業承継を検討している方にメッセージをお願いします。

児玉氏:先代との「違い」をどう活かし、活かせるか。それを考えることって、とてもワクワクすることだと思いませんか。その楽しさこそが後継ぎの醍醐味です!

さぁ、怖がらず、一歩踏み出してみましょう。

(取材・編集:2021年12月、記事再編:2023年)

西海陶器株式会社 代表取締役社長
児玉 賢太郎 氏
1983年長崎県東彼杵郡波佐見町生まれ。大学卒業後、アメリカ留学を経て2009年入社。中国支社、自社ブランドの企画・開発を行う東京西海を立ち上げ、2016年社長に就任。代々受け継ぐ「創業魂」と「豊かな感性」で、波佐見の伝統を繋ぐ活動、将来を見据えた豊かな町づくりに精力的に取り組む。
会社概要
西海陶器株式会社
長崎県東彼杵郡波佐見町折敷瀬郷2124
https://www.saikaitoki.com/
陶磁器製品の元卸、 加工業、 輸出入業