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「地獄」文化の伝道師!!5代目後継ぎが魅せる『海地獄』の世界

大分県別府市が誇る観光名所「海地獄」。その運営を行うのが、創業111年を迎えた合資会社海地獄(大分県別府市)。今回は、2017年に5代目となった千壽智明さんに、事業承継と現在の挑戦について伺った。

目次

「庭」だった地獄を「家業」と捉え直す 焦りと葛藤の末見えた「家業」の強み

−まず「地獄」のことを教えてください。

千壽氏:「地獄」は、今から約1,200年前、鶴見岳の噴火とともにできた熱泉のことです。当時は近寄ることもできない忌み嫌われた土地であったことから、「地獄」と称されるようになりました。

今でもここ別府では温泉噴出口を「地獄」と呼んでいて、別府が誇る観光名所です。別府の7つの地獄のうち、当社が運営する地獄は、水面が海のようにコバルトブルーに見えることから「海地獄」と名付けられました。海地獄の周辺は元々殺風景な土地だったのですが、曾祖父が「地獄を風景に美しい庭園を楽しんでほしい」と整備し、地獄に新しい価値を生み出したのです。

明治43年創業の国指定名勝「海地獄」
別府の地獄のなかでも最大の海地獄は、コバルトブルーの色をしており、地獄というのがふさわしくないほど美しい
−千壽さんが、5代目として継ぐまでの経緯を教えてください。

千壽氏:私は3人兄弟の末っ子なのですが、もともと「継ぐ」という意識はなかったですね。地獄に対しても、おじいちゃん・おばあちゃん家の「庭」という感覚しかなく。

ただ、当時は、その有り難さに気づけていなかったんですね。 継ぐつもりもなく、東京の大手印刷会社で営業をしていたのですが、兄たちはすでに別の道に進んでいて、サラリーマンをしていた私に後継者として白羽の矢が立ったというわけです。代々続く家業ですし、別府が誇る観光名所、ここで途絶えさせるわけにはいかない。6年働いた会社を辞め、2014年別府にUターン、家業に入りました。

−一度外に出て、改めて家業をみた印象はどうでしたか。

千壽氏:当たり前にあった「庭」を「家業」として捉え直すため、まず地獄の歴史を紐解いていったのですが、その世界観に私自身が魅了されましたね。より深く知ると、地獄の歴史と世界が時を超えて目の前に広がっていくような感覚で。1200年という長い時を経て、今もなお、そこに存在し続ける地獄には普遍的な価値が宿っているのです。地球の鼓動を感じられる神秘の大地なんですね。

−地獄のアイデンティティを追求し、家業の強みを認識されたんですね。

千壽氏:昔、この地の人たちは、寄りつけない地獄のような場所だと「地獄」という呼び名が定着したわけですが、曾祖父が地獄に新たな価値を見出したように、その先人たちもまた、知恵を絞ってきたんですね。地獄との共存の道を。そうしてうまれたのが、湯治や地獄蒸し、蒸し湯という文化で、蒸気が噴き出す場所には人々が集まり、貸間や蒸し窯といった地獄ならではのコミュニティが生まれたんですね。単なる観光スポットとしてではなく、地獄の歴史や文化の変遷、世界観を多くの人に共有し、地獄文化を承継していきたいという気持ちが強くなりました。

−海地獄を「場所」としてではなく、時の流れや世界観をも含めた「空間」としての価値を届けたいということですね。

千壽氏:家業に入ってから、「見せるだけじゃなく、何か楽しいことを提供しなければ」という焦燥感が常にありました。父は、「海地獄は素晴らしい!」という確固たる自信を持っていたんですが、私はそう思えなくて…「このままじゃダメだ、結果を出さないと」って。今振り返ってみると、「庭」と「家業」の間で必死にもがいていたのかもしれませんね。家業に入って7年経ちましたが、ようやく自分の軸・考えの拠り所のようなものができてきた気がします。

3月末から4月頭にかけて、海地獄では桜並木がお客様をお出迎え。4月中旬には桜色からつつじ色へと変わり、園内を彩る
入り口をくぐると美しい庭園が広がる。ひときわ目をひくのが大きいシュロの木

地獄の独自性とその世界観を活かした体験型イベントを企画

−具体的にどんなことにチャレンジされていますか。

千壽氏:まずは、海地獄創業以来初の夜間営業を期間限定でトライしてみました。この鉄輪エリアには夜のアクティビティがなかったので、若い人たちに楽しんでもらえるようなイベントをやりたかったんです。湯けむりに、鬼を映し出すような仕掛けをしたり。地獄という独自性・世界観を存分に味わってもらおうと。2014年に始めたのですが、だんだんとノウハウも溜まってきて、年々バージョンアップさせています。園内全体をライトアップして幻想的な雰囲気を演出し、オリジナルの物語に沿ってウォークスルー的に楽しめる仕掛けやスポット的な演出をいくつも展開しました。2018年は”湯気の向こうに鬼遊ぶ森”、2019年は”湯気と小鬼と一夜の奇跡”というテーマで企画しました。

湯煙を活用したライトアップとプロジェクションマッピングにより幻想的な世界観を演出
熱湯からあがる白い湯煙に光があたると赤青の鬼が現れる
−お客さんの反応はいかがでしたか。

千壽氏:それが、大盛況!SNSなんかで口コミも広がって、最終日には2〜3時間の待ち時間ができる長蛇の列。例年のGW期間のご来場者数に届くほど、多くのお客様に楽しんでいただいて、地獄のポテンシャルや自分がやってきたことに対する手応えを感じましたね。その他にも、アーティストを招いたライブ”超・地獄”、別府の美味しい料理とドリンクを囲んだナイトパーティー”The Hell”など地獄の世界観を体感いただきながら、その魅力を再発見してもらえるようなイベントをしました。「ライブやパーティーができる地獄」というのは話題性もあって、すぐに定員に達しました。お客様に楽しんでいただけたのは、とても嬉しかったですね。

湯けむりが幻想的で、素敵な空間だったでしょうね。1200年という長い歳月や、自然の雄大さに包まれた神秘性は、地獄ならではの世界観ですよね。

地獄の新しい見せ方・届け方で、文化を承継

−智明さんの夢を教えてください。

千壽氏:これからも海地獄の存在意義・地獄らしさを追求し続け、地獄の新しい見せ方・届け方を通じて、その時代・時代にあったカタチの地獄文化を発信していきたいですね。今はコロナで観光業も厳しい状況におかれていますが、次の飛躍に向けた仕込みの期間。すでに新たな展開に向けて動き出しているので、今後の海地獄に是非注目してください。

継ぐモノへのメッセージ

千壽氏:私は、先代の父が突然他界したことで代表に就きました。それまで父とは3年間一緒に働いていましたが、今になって、父に聞きたいことがたくさんあります。父がどんな思いでこれまで海地獄を守ってきたのかとか。なので、先代や現経営者が現役で活躍している後継ぎの方たちは、今のうちからしっかりと向き合い、じっくりその思いや夢を語り合ってほしいなと思います。

(取材・編集:2022年1月13日、記事再編:2023年)

合資会社海地獄 代表社員
千壽 智明 氏
1985年大分県別府市生まれ。大学進学で上京し、卒業後は大手印刷会社へ就職。2014年に別府市へUターンし、家業に入る。2017年先代の他界で、32歳で5代目代表へ就任。地獄文化を次世代へ繋ぐための活動に取り組む。
会社概要
合資会社海地獄
大分県別府市大字鉄輪559-1
http://www.umijigoku.co.jp/
遊園地(テーマパークを除く)