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先輩アトツギによる体験シェア。地方で事業をする強みとは

昔は同じ仕事をやることが家業を継ぐことだと言われていたが、現代においては家業の継ぎ方が多様化している。一般社団法人ベンチャー型事業承継の山野千枝さんによる、九州を代表するアトツギベンチャー経営者である株式会社オオヤブデイリーファーム(熊本県合志市)の大薮裕介さんと、エアロシールド株式会社(大分県大分市)の木原寿彦さんによるトークセッションの内容を紹介する。

※本稿は、2021年10月27日に開催された「事業承継推進DAY」でのトークセッションの内容を記事にしたものです。

目次

商品が選ばれる環境を自分で作ろう

山野氏:今日お2人と初めてお会いしますが、今日の結論の1つは家業の継ぎ方はものすごく多様化しているということです。昔は親と同じ仕事をやることが家業を継ぐということだったんですが、時代は変わりました。まず大藪さんからお話しいただきます。

大薮氏:熊本県合志市で酪農をしながら乳製品を製造販売しています。畑はデントコーンがメインで、牧草は協力農家さん、牛を育てて搾乳して、ヨーグルトとかをメインに製造しています。牧場の理念は「次の世代を育むため、わが家のミルクにできること」というふうにミルクを生産する過程そのものをいろいろなものに紐づけていくというか。牧場のあり方というのは、妻と結婚したときにこれから木が育っていくイメージでこういう風な牧場にしていこうと。1975年に父が牧場を建て、2016年10月に法人化しました。

もともとは工作や物づくりが好きで、大学の時は服飾デザインや海外旅行に興味があってバイトばかりやっていましたが、母が倒れた時に初めて牧場の仕事を手伝いました。その後、アメリカを横断しながら牧場を視察するツアーに参加したときに、毎年海外旅行に行っている酪農家さんが結構いることに驚きました。父の友人に尋ねたら「うちは社員がいるから。ヘルパーとか雇えば行けるんじゃない」と言われて「そうか、お金と時間をマネージメントすればこんな自由な仕事はないな」と思って、就活をやめました。

山野氏:それはお父さん仕組んでますね(笑)。

大薮氏:20代のころは牧場に入ったばかりであれこれ言っても聞いてもらえないですよね。子牛の育成とかはきちんとやりましたが、だんだんやる気がなくなって、家事手伝い酪農家みたいな残念な20代を過ごしました。その後、口蹄疫とかBSEとかがあって、生産調整ですよね。父のすごいところは仕事の愚痴とかは一切言わないんですが、その時に「これ以上悪くなったら工事現場に働きにいかないとな」という弱音を聞いて、やっと目が覚めました。そこから動き始めて研究会とかに行き始めました。

ある研究会の講師が電通でブランディングしていた方で、「牛乳が売れるとか売れないとか関係ないよ、あなたの商品に選ばれる理由はありますか?」と言われて、目の前がグレーからカラーに変わるくらいの衝撃を受けました。酪農家って自分の牛乳を自分で売れないんですよね、組合とかが決めた価格でしか売ってはいけない。でも売れる環境を自分が作っていない、売れないことを他人のせいにしていると気づきました。だったら選ばれる環境を自分で作ろうと思いました。もともと作るのが好きということと牛乳を選んでもらうということが、この辺から掛け算になっていきました。

山野氏:最初にお話ししていた、洋服デザインとかブランディングが好きだったことが、掛け算されると…。

大薮氏:今日配っていただいた牧場のパンフレットも自分でデザインしました。酪農家の後継ぎというよりも、父が今でも回している牧場の魅力を活かして選ばれ続ける仕組みを作ってきたという感じです。選ばれるには知ってもらわないといけないので展示会とかに出まくって、いくつかは賞をいただいて、そこからいろいろな繋がりができました。

この商品で多くの命を救える

木原氏:わが社は紫外線照射装置「エアロシールド」を作っているメーカーです。2006年設立です。近年のトピックスとしては社名を製品名の「エアロシールド株式会社」(以前の社名は「エネフォレスト株式会社」)に変更し、富士通ゼネラルと戦略的資本業務提携をしたことです。社名変更したのは販売店さんに大手の会社が増えてきて、エアロシールドのメーカーってどこなのかをわかってもらえなくなってきたからです。

もともとは医療、介護施設、保育園がメインの顧客でしたが、コロナ禍で東京ドーム、大分空港、それと、音がしないのでニッポン放送の全スタジオにつけていただきました。そういうメリットがある商品です。

良い製品をただ売れば良いという話ではなくて、この業界では実験データをカタログに載せるのが普通なんですが、私たちはお客さんの実空間でどのくらい効果があるかということを実際に検証するなど、地域の小企業なので信頼を得るためには上っ面のPRではなくてそういうことを地道にやって信頼を得てきました。ソフト面もしっかり取り組んで、感染対策のノウハウも提供できるようになったのが背景にあると思います。

大学は北九州市立大学で、大手企業に入社しましたが3年で辞めました。25歳で今の会社に入社しました。それまでは何でも出来るという無敵感があったんですが、単に(大企業の)看板をしょっていただけなんだなと大分に帰ってきて気づきました。当時は感染対策に世間の理解もなく、経営が苦しい、債務超過の時期が11年ほど続きました。その後、私が社長になって調子も良くなってきたという感じです。

山野氏:木原さんの場合、父上が新規事業のために新しい会社を立ち上げてプロトタイプが出来上がってどう事業化しようかというところで部長に就任されたっていうことですよね。ジョインしたのはなぜですか。

木原氏:感染対策をすることで人の命を救えると思ったんです。私は医療従事者ではないけれど、これをやれたら多くの命を救えることにつながるかなと、それがやらなきゃと思ったきっかけですね。

山野氏:やっているのが父親の会社か、例えば友だちの会社かで違いはありますか。

木原氏:あると思います。父は厳しい人で好きじゃないんですが、どこかで父を超えたい、認められたい、という気持ちもあって、これは僕がやらないとうまくいかないし、広げられないという無敵感もあったので。

山野氏:コロナ禍の今ならともかく当時は事業化も難しい分野ですよね。もう辞めたいとか思いませんでしたか。

木原氏:いっぱいありました。1年間の債務超過でもつぶれずにやってこれたのは、諦めたら格好悪いというプライドがあったんですね。また多くの人を救える可能性があるとずっと思っていたので、それらを支えに。あと先輩とかに応援されたり。父が仕事をしないのを、他人のせいにしているだけで自分の覚悟が決まっていないと気づいてから、状況は変わってきましたね。

山野氏:顧客から改良の要望が来て製造にフィードバックする過程でお父さんとのコミュニケーションは発生しますか。

木原氏:発生しますね。ただ、私は営業先にいかに短時間で信用してもらえるかをひたすらやっていましたので。

苦しい時代が事業の覚悟を促す

山野氏:お2人とも家族が関与している会社にジョインしたということでは後継ぎです。私は「出島戦略」と名づけていますが、新事業のために新会社を作って本業を取引先にしていく、そこで本業を発展させる、そういう「出島戦略」の事例が最近多いんです。大藪さんはまさにそうですよね。

大薮氏:酪農モデルでは利益が出ないし、政治力を発揮して変えるには50代60代まで待たないといけない、30代でやるしかないモードになって600万円だけ借金して工場を作りました。22〜23カ国のヨーグルトを食べ歩きましたが、どの農家も「酪農じゃ稼げない」というのがヨーグルト作りのきっかけでした。なぜヨーグルトにしたのかは、まず牛乳だと味の違いが分かりにくいからです。アイスは果汁ジェラートにかなわなかったし、チーズは効率が悪い。ヨーグルトだったら濃さが見てわかるし大手メーカーは作れないからです。

山野氏:後継ぎのイノベーションの源泉に悔しさがあると思うんですね。だから20代の暗黒時代はあったほうがいいと思うんです。

木原氏:そう思いますよ。そうじゃないとチャレンジできなかったし、私も前職に比べれば給与も3分の1くらいになったので、20代でいかに苦労できるかがポイントだったというか、やったからこそ今があるなと。

会場からの質問:お2人にうかがいたいのですが、いま自分が20代に戻るとしたらやってみたいこと、やったほうがいいことがありますか。

大薮氏:絶対に戻りたくないですね。人格を否定される衝撃とかどうしようもない葛藤とか、考えたくない(笑)。

木原氏:私も戻らないですね。自分を信じてあげないと自分がかわいそうなので、20代の自分にはよくやってるよと言ってあげたいですね。

山野氏:ファミリーで経営することの難しさってありますか。

木原氏:ファミリーは最後の最後には絶対に裏切らないはずだと、そこはあるのかなと思います。先祖の土地を担保にしていたので、そこは違うので、純粋に強みだと思います。

大薮氏:ケンカしても完全な憎しみではない。仲間というか、最後は助けてくれる。ただ親子が仲良くやっているのは聞いたことないですよね。あとは、方向性を切り出すかどうか、なかなか共有できないですけどね。先輩からは「怖いけど自分で牧場持つしかない」と言われました。その人も親とケンカして自分で工場を建てたんですけどね。

山野氏:円滑な事業承継というのは「ない」と思っていて、ハードランディングの方がむしろ良いと思っています。親とちゃんとぶつかる中で自分の覚悟も決まるし、必要なプロセスだと思います。

木原氏:振り返ってもそういう感じでした。その確執を引きずらないのがファミリーの良い点ですね。

山野氏:木原さんに尋ねたいんですが、今回大手企業と資本業務提携した理由はなんですか。

木原氏:私たちの商品はエビデンスもしっかりとっているんですが、コロナ禍になって、売れるから有象無象の商品が出てきて効果がないだけならまだしも、有害な商品もあって、私たちも自社製品が売れる売れないではなくて、スピード感を上げないと世間がまずい方向に行っちゃうと考えました。国内外で正しく広めるにはどうするか、提携したのは空調メーカーなんですが、お互いにコミットメントできる関係性をつくるために資本業務提携という形をとりました。木原家の事業だけにとどめておくのはまずい、社会に必要なことなので、そういう決断ができたんだと思います。

山野氏:大藪さんのヨーグルトも木原さんのエアロシールドも、どちらもお2人でなければ生まれなかった。お2人とも自分らしい事業に家業を寄せていっている、これがベンチャー型事業承継だと思っています。その方が楽しいし、苦しいことも乗り切れると思うんですね。ここらへんで質問を。

地方で事業すると目立つし支援も手厚い

司会:九州など地方にいる強みはありますか、との質問です。

木原氏:あると思います。地方だから競争は激しくなく、頑張れば目立ちます。自治体の方々もたくさん応援してくれるので。

大薮氏:行政からこんなにありがたい仕組みを準備していただいて、いろいろ活用させていただいています。木原さんがおっしゃるとおり、九州や熊本だと目立ちますよね。

山野氏:中央だと埋もれちゃうし、行政も中央に向かってPRしてくれるじゃないですか。

会場からの質問:後継ぎとして家業を継いでよかったと思った瞬間はなんでしょうか。

木原氏:暗黒時代にいろいろ試行錯誤することで無限に発想も湧くし、相当自分の力となっているし、自分を信用しないと売れないし、伝える力も醸成されたと思います。それがなかったら自分も努力してないので、その時代が今の力になったって感じですね。

大薮氏:20代のころは諦めてました。自営業に関しても酪農業の仕組みに関しても。でも自分の手元にハンドルとアクセルとブレーキを置いた瞬間からどうにでもなるわと思ったんです。父も循環型酪農を胸張ってやっているので、それを途絶えさせるのも格好悪いし、農業は懐深くてなんでもできるし、自分が好きなことで誰かのハッピーにつながらないとダメだと思うんです。人間いつかは死ぬんだし、生きている今、面白さを話せるようになればいいなと思います。

山野氏:20代30代の後継ぎの暗黒時代を、社会が、地域が、応援するようにしたいんですよ。多くが人知れず孤軍奮闘しているんですよ。応援して地域のロールモデルをつくったら、後継者問題も改善すると思うんですよ。これから後継ぎ支援を皆さんでしていきませんかという投げかけをして、終わりたいと思います。

(取材・編集:2021年10月27日、記事再編:2023年)

株式会社オオヤブデイリーファーム 代表取締役
大薮 裕介 氏
1978年熊本県菊池郡西合志町(現合志市)生まれ。2000年福岡大学商学部貿易学科を卒業。デザインに興味を持ちベルギーへの留学を目指し就職活動中に出会った酪農家との出会いで就農。外部要因の影響を受けない強い酪農家として次世代につないでいくために選ばれる生産者になろうと6次産業化を決意。「ヨーグルト」の商品開発に取り組み、2012年から製造・販売を開始。2019年6次産業化アワード農林水産大臣賞受賞。
会社概要
株式会社オオヤブデイリーファーム
熊本県合志市須屋2541
https://www.oyabudairyfarms.com/
ヨーグルトの製造・販売
エアロシールド株式会社 代表取締役
木原 寿彦 氏
1983年福岡県北九州市生まれ。 2005年北九州市立大学経済学部を卒業し、セブン-イレブン・ジャパンに入社。2008年 セブン-イレブン・ジャパンを退社後、シールドテック株式会社(現エアロシールド株式会社)へ入社。創業以来、大分を拠点に全国展開における販路開拓、製品改良、新製品開発などに従事。「空気環境対策を社会のインフラにすること」を目指し、第二創業期の事業経営を10年以上牽引。2017年代表取締役に就任。
会社概要
エアロシールド株式会社
大分県大分市大字木上394番地の12
https://www.aeroshield.co.jp/
紫外線照射装置の開発、販売、設置工事、メンテナンス
一般社団法人ベンチャー型事業承継 代表理事
山野 千枝 氏
1969年岡山県生まれ。関西学院大学卒業後、ベンチャー企業、コンサルティング会社を経て、大阪市経済戦略局の中小企業支援拠点「大阪産業創造館」の創業メンバーとして2000年より参画。ビジネス情報誌「Bplatz」の編集長として多くの経営者取材に携わる中、ファミリービジネスの経済合理性に着目し、同族企業の承継予定者に特化した新規事業開発を支援する「一般社団法人ベンチャー型事業承継」を設立、代表理事に就任。オンラインサロン「アトツギU34」主宰。社史制作や企業のブランディングを手がける株式会社千年治商店 代表取締役。関西大学「アトツギベンチャーゼミ」非常勤講師。日本経済新聞「日経ウーマンオブザイヤー2020」受賞。
会社概要
一般社団法人ベンチャー型事業承継
東京都千代田区神田錦町1丁目17−1 神田髙木ビル 7F
https://take-over.jp/
中小企業の承継者を対象にした事業開発支援
ベンチャー型事業承継事例の発信
ベンチャー型事業承継の研究・分析及び政策提言