継ぐ・継がない問題がある親族内承継において、先代と後継ぎのスムーズな事業承継が実現した。本稿は、2021年10月27日に開催された「九州事業承継サミット」にて、親族内承継における成功のカギについて、大分県事業承継・引継ぎ支援センターサブマネージャーの栗山さん、大正8(1919)年創業の後藤製菓(大分県臼杵市)の4代目・後藤重明さん、5代目・亮馬さんに伺った。
※本稿は、2021年10月27日に開催された「事業承継推進DAY」のトークセッションの内容を記事化したものです。
不易流行を重ねて守るふるさとの銘菓
亮馬氏:今年で創業102年を迎える老舗の煎餅屋の5代目です。もともと煎餅一筋でやってきましたが、今では清涼飲料水の製造や観光業など事業を拡大しています。代表で作っているのが臼杵煎餅です。生姜と砂糖で作る蜜を職人が丹念に手塗りをする、大分独自の生姜煎餅です。この伝統を未来に継ぐために「不易流行」と社是を掲げています。守るために変わるという意図で、臼杵煎餅も時代に合わせて味わいや食感も変わります。臼杵煎餅の会社は大分県に何社もありますが、私どもならではの特徴として「不易流行」の商品開発に力を入れています。
私は今年31歳になります。人口3万人の臼杵市から一歩も出たことがない生粋の地元人間です。大学卒業後すぐ家業に入りました。私にとって家業とは、身近な存在で、父の商売人としての姿を目に焼き付けておりましたし、自宅横の工場では職人さんたちが働いていました。そういう環境でしたので小さい時から後を継ぐのは当然でした。8歳の時の作文に(将来の夢を)「俺は後藤製菓を継いでいる。商売繁盛。新しい菓子を作っている。そして大もうけ」と書くほどです。
入社後は、臼杵煎餅が置かれている現実とのギャップを思い知ります。若年層だけでなく中年層のお客様にも支持されていませんでした。取引先も重要視しておらず品切れしても発注してくれない店もありました。そうこうしているうちに会社の100周年で、初の新規事業に挑みました。
大分臼杵という文字をローマ字で逆から読んだ「IKUSU ATIO」(イクス・アティオ)という「不易流行」を体現した新ブランドを設立しました。例えば臼杵煎餅のサイズを小さくし、食感を軽くし、生姜以外の味のバリエーションを提供しました。一方で、若い人との距離感を縮めるためにパッケージを刷新したり、手塗りをする伝統製法は残しつつ地元の有機栽培の生姜にさらに磨きをかけたり、煎餅をあえて砕いてチョコレートと合わせるような大胆なアレンジをしたりして、一貫して「不易流行」を体現することを徹底しました。結果として売上の拡大や職人6名の新規雇用といった成果を上げることができました。
亮馬氏:私たちはこの小さな町で100年以上事業を営んでいますが、循環型の老舗になることを目指し、今年の元日にはSDGs宣言をしました。一例として環境保全の取り組みを紹介します。わが社で使う生姜は自社で加工しているのですが、絞り汁しか使用しないため、年間最大2トンの絞りかすが産業廃棄物になっていました。この膨大なフードロスを削減するため、搾りかすを生姜パウダーに再加工し、それを使った商品を開発することで昨年は廃棄をゼロにできました。こうした取り組みで農水省主催の「フード・アクション・ニッポンアワード2020」を受賞し、星野リゾートさんから選んでいただいたのをきっかけに新たなチャネルの創出にもつながりました。
こんないい話ばかりではなく、新型コロナウイルスの影響も非常に受けています。そういう中でもコロナに負けないように臼杵煎餅を再構築するような取り組みも開始しようとしています。例えば臼杵煎餅は観光の手土産として活用してもらっているため、コロナ禍で消費量も落ち断続的な休業も続いています。そんな中、過去の歴史をひもとくと江戸時代には保存食として、また数十年前には缶に入った臼杵煎餅が家庭に常備されていました。災害が続く今の世の中で、大分の保存食として各家庭にもう一度常備されるポジションを獲得できるのではないでしょうか。また、大分空港は来年、宇宙港になるのですが、保存食は宇宙食と近いんです。そういう着目点から宇宙食の市場も開けてくるのではないかと考えています。われわれだけなく地域の人もわくわくするような元気の素にもなれるんじゃないかと思っています。
継ぐ側の成長に合わせて進めた承継準備
重明氏:私も大学を卒業して「帰ってこい」と言われて、やったこともないし、何もわからない中で一から覚えていきました。当時、私は大学4年生で銀行から資金を借りられないので母親の名義で借りました。売上からするとひどいような借金で、本当に言葉では言い表せないくらい大変な思いをしました。私は結婚が遅くて長男は40歳の時の子でした。私の休みは1月1日のみであとは全部働いていましたが、この子が後を継ぐならちゃんとしようと思い、休めるような体制にしようと考えました。将来を考えた時に、M&Aをしました。紙箱製造の会社が辞めるということで地域の小さいお菓子屋さんたちが困っていたので、将来は観光土産のパッケージとか作れるからと思い、この会社を買いました。息子が高校の時には本格的に継ぐという気持ちになっていましたので、「臼杵石仏」の近くでやっていたレストランをM&Aしました。400人くらい入る大きなレストランでしたが私もレストラン経営の経験もないし赤字続きで、工場にしました。
亮馬氏:私たち親子の場合、自然と継ぐもの、継がせるものという意識で人生を送ってきて、常に心の準備が出来ていました。また、父が事業の裾野を広げたりする過程で、継ぎたいと思う会社を作ってくれ、私が夢に向かう成長をサポートしてくれたことに感謝しています。
亮馬氏:社会人経験がなくて右も左も分からないまま家業に入りましたが、父の教えとして「人のご縁を大切にしなさい」「人脈をつくりなさい」と言われ、経験不足は経験のある先輩方から話を聞いて吸収しようと思いました。私は元々すごい人見知りでコミュニティーに属するのは苦手でしたが、なんとか克服しようと、例えば地域の経営者の集まりに属したり、異業種交流会に参加したり、専門家の話を聞いたりしました。
重明氏:取引先との関係は、息子が会社に入った時から営業の時に一緒に連れていって紹介しながら、次からは自分だけで行かせて、得意先を覚えさせていきました。商工会議所の関係者も一人ひとり紹介して少しずつ人脈を広げさせていきました。人材の確保は、息子がまだ若いからなかなかいないんです。親子というのは私が上からガーッと言うから相談しにくいんですよね。ですから大分県事業承継・引継ぎ支援センターに頼って、また私とは違った考え方を皆さんお持ちですから、刺激を受けて良くなると思います。
承継を終えて―よかった点と反省点
亮馬:入社してすぐに創業100年というきっかけがあったので改めて歴史の重さを感じました。老舗には昔から通貫した理念が掲げられているというイメージがあったのですが、後藤製菓には無いなと思いまして、歩みを調べると、「守るために変わる」ことへの挑戦を代々やっていることが実績としてありました。対外的に会社の説明をした時に、どちらかの教授に「それって不易流行だね」と言われまして、意味を調べるとすごくしっくりきて、言葉として掲げるべきだと考えました。それによって新しい事業をするときにも迷いが無くなると思いますし、自分だけでなくて従業員も同じ方向に向かっていくためにも必要だと思います。
亮馬氏:きっかけは、大分県事業承継・引継ぎ支援センターさんの紹介で後継者育成塾に通っていたことです。その中でアトツギ甲子園の話を聞きまして、本当は表に出るのは苦手なのですが、出場して経験が少しでも蓄積されればいい、また、私が露出することで臼杵煎餅の知名度向上にもつながると思いました。
参加して良かったことは2つあります。1つは「IKUSU ATIO」(イクス・アティオ)という新事業の内容について、専門家の方と壁打ち(自分の話を聞いてもらうこと)をする中で当時、全然深いところまで考えていなかったという甘さを痛感することができました。事業展開も含めた2段階ブランディングの機会にもなりました。
もう1点は、実際に東京での15名をはじめ全国の後継ぎの方の取り組みを知り、また面識ができることになって、ワクワクする挑戦をされている人が多いと感じることができたことです。私は地元から出たことのないので視野が狭くならないように気をつけていたのですが、だからこそ、そのときすごく視野が開けてきて、挑戦心をくすぐるような熱さをいただきました。
重明氏:わが子ながら良くできた子だと思っています。ただ、親がこうしなさいと言うと最近、逆らうんですね。だから会えばけんかするから、なるべく会わないように心がけています。
亮馬氏:私も約10年働いてきて自分なりの意思とか意見が出来て、主張するようになったのですが、父と衝突すると現場に迷惑をかけてしまうので「今は父の時代だから自分の時代になるまで待とう」と思って意見を言わない方向になっていきました。私が変に主張すると父の承継意識が下がるんじゃないかなどと要らぬ心配をして、腰をすえて父と「こういう風に変えていきたい」という深い話をしない中で7月に承継してしまいました。これではいけないと思い、9月にしっかり意見を言って衝突したんです。後継ぎの方に伝えたいことは、結果として衝突することがあったとしても、承継前にしっかり話し合うべきだということです。
栗山氏:後藤製菓さんの成功のポイントは、事業承継する側と支援する側が車の両輪のように適切なタイミングで連携しながらまとめられたからだと思っています。後藤製菓さん側に積極的に関与していただいて、支援者側も途切れない支援ができたのかなと思います。
重明氏:私は1年365日休まずに仕事をしていました。息子が社長になって、勤務時間をだんだん短くしたんですね。私も少しでも役に立ちたいという親心があるので、3時間とか5時間とか勤務していたのですが、あれが悪いこれが悪いと言うもんだからカチンときてですね。観念が違うから行き違いがありまして。私のM&Aの基本的な考え方は「儲けのためにするんじゃない」です、地域が困っているから出来るならしなさいと。今回の飲料水のM&Aも最初は反対したんです。息子がどうしてもやりたいというから賛成したのですが、またトラブルがあって。話をすればけんかになるから老兵は消え去るのみです。
(取材・編集:2021年10月27日、記事再編:2023年)
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後藤製菓後藤 重明 氏(左)・後藤 亮馬 氏(右)
- 亮馬氏は大学卒業後、後藤製菓に入社。2021年1月には、中小企業庁主催「アトツギ甲子園」で全国15名のファイナリストに選出されるなど、新規事業への取り組みも加速。
2021年7月、重明氏、亮馬氏ともに満を持しての事業承継を果たす。
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大分県事業承継・引継ぎ支援センター サブマネージャー栗山 浩一 氏
- 会社概要
- 後藤製菓
- 大分県臼杵市深田118
https://usukisenbei.com/
菓子製造、貼り箱製造、希釈タイプ清涼飲料製造