INTERVIEW

  • HOME
  • 50年の歴史を活かした承継。未経験の車検工場を経営する期待と不安

50年の歴史を活かした承継。未経験の車検工場を経営する期待と不安

経営者の高齢化による後継者不在で悩んでいた山田自動車株式会社(福岡県嘉麻市)。福岡県事業承継・引継ぎ支援センターのサポートによって、この度M&Aをされた泉川尚進さんに、M&Aをすることになった背景や、譲渡後の取り組み、今後の展開など伺った。

※本稿は2021年10月27日に開催された「事業承継推進DAY」での泉川さんによる講演内容を記事にしたものです。

目次

50年の歴史ある自動車会社を事業承継

−山田自動車株式会社をM&Aするまでの経緯

泉川氏:私は山田自動車株式会社をM&Aしましたので、その経緯を紹介します。私はいま37歳、もともと乳製品メーカーでサラリーマンをしており、その後、牛乳屋を創業しました。その牛乳屋がなかなかうまくいかず、2019年12月で売却しました。

その途中に売上を確保しないといけないので、担い手がいなかった宗像市の便利屋さんを事業承継で購入、運営していました。牛乳屋を売却した時に福岡県事業承継・引継ぎ支援センターの紹介で、福岡市の印刷会社を2020年1月に事業承継して今も経営中です。ただコロナ禍で町の印刷会社の仕事がなくなり、どうやって生き残るかが課題です。YoutubeやSNS、ホームページによる情報発信業務を受託して、「スリーサポート」という会社は売上を維持してきました。

−山田自動車株式会社をM&Aすることになった理由

泉川氏:今回、山田自動車を事業承継させていただくにあたり、前社長からメッセージを頂きました。

インタビューに答えられる前社長の水上さん。苦しかったけど、楽しかったと経営されてきた50年間を振り返る

結構気さくなおじいちゃんで、7月に80歳になられました。50年間この会社を経営してこられ、年齢的なものもあって後継者をずっと探しておられました。私は、立派な整備工場という印象を持ちました。何もなかったころから仲間内で工場を建てたそうです。インタビューでは50年分の思いをしっかりお聞きしました。これなくして会社の未来は作れないと思っています。

山田自動車の1番のポイントは「車検のコバック」のフランチャイズ加盟店だったという点です。ただの整備工場ではなく、コバックの看板が付いているのが大きな特徴です。正社員5名とパート1名で、正社員の3名が整備士で残り2名が事務員、パートは洗車係という構成です。年齢は最年少が50歳、工場長が73歳で、私などは子ども扱いです。年間に800台の車検をこなしています。

譲り受けの経緯ですが、私も印刷会社を事業承継・引継ぎ支援センターの紹介で承継したということもあり、企業を買いたい側として登録していました。山田自動車にたどり着く前にも何社か交渉して折り合いがつかない経験を繰り返して、この山田自動車に行き着いたのが2021年6月です。

まず、どういう会社か情報をもらいました。他にも同社を買いたいという会社が2社ほどあり、まずは社長がどこの会社と交渉をするかという面談をさせてもらい、専属交渉権を勝ち取ることができました。それ以降は山田自動車に数回直接うかがって折り合いつけていきました。社長が早く売って辞めたいと言われるもので、8月末に売買契約し、9月から営業しています。

車検工場経営に90%の期待と10%の不安

−当時の気持ち

泉川氏:90%の期待と10%の不安がありました。期待というのは、1点目は指定工場であったということです。認証工場だと陸運局に持っていかないといけませんが、指定工場だとその場で車検が切れます。車検台数が増えると人件費を抑えることができます。指定工場をこれから取得しようとすると、やはりハードルが高いので、指定工場という点にビジネスチャンスを感じました。

2点目は車検のコバックです。コバックは車検会社としては国内で1番大きく、やはりノウハウがあるだろうと思いました。最初からコバックに加盟している点に魅力を感じました。私自身は車が好きですが、車関係の経営をしたことがありません。そこで助かったのは所属している青年会議所で、同業の方の話を聞いたことです。そこで車検のコバックなら絶対やったほうがいいと言われました。

−不安な点

泉川氏:車検工場を経営したことがないという点です。従業員からいろいろ聞かれますが、判断ができないことがよくあります。やはり最初は不安がありました。次は従業員が継続して働いてくれるかという点です。指定工場は基準があり、もしも従業員から「経営者が替わったので辞めます」と言われたら指定工場を継続できないこともあります。

前社長と従業員との仲が良くなかったことから、経営者が私に替わってから従業員と慰留の交渉をすることにしました。まずは個人面談をしましたが、その際にはコンサルタントに入ってもらい、事前に書いてもらったヒアリングシートに基づいて面談して、結果として全員残ってもらうことが出来ました。

前社長の50年の経営があってこその今がある訳ですから、延べにして1時間半ほどのムービーを作りました。入社してくる社員には社の歴史を勉強するツールとして使いたいと思っています。前社長は9月から1カ月間は出社してくれましたので、9月末にはちゃんと退任式を行なって、前社長の気持ちの切り替えがつくような式典にしました。

M&Aへの悪いイメージを変えていきたい

−引き継ぎ後に取り組んだこと

泉川氏:引き継いで少しずつ改革をしていきました。山田自動車は何もしないと毎月30万円の赤字です。まず考えたのは、車が売れれば車検や整備が増えるだろうということで、今までやってなかったSNSアカウントを作成したり、車のポータルサイト「カーセンサー」に登録したりして車が売れる土台づくりをしました。おかげさまで今月10月には6台車を売ることができました。

また、事務所が書類で埋もれているような感じで、お客様を招く事務所ではありませんでした。従業員からもそういう声が上がってきていました。そこで営業日を1日止めて、事務所の一斉清掃をやりました。一斉清掃はほかにも良いことがあって、今まで従業員は整備と事務と分かれて仕事しているので、1箇所に集まって1日かかってコミュニケーションを取る機会はありませんでした。それにより色々なコミュニケーションがとれて、意思疎通が円滑になりました。またお客様からきれいになったねと言われて、承認欲求が満たされました。やってよかったと思っています。

−引き継がれてさまざまな改革をおこなわれてきたかと思います。今後の展開について教えてください。

泉川氏:今後は、一気にバーンと売り上げや利益が上がる状態ではありませんから、粛々とやっていきます。確かに車が売れれば利益が上がると思いますが、この会社はあくまで整備工場なので、車検と整備を1台1台増やしていくのが大事ですし、その方が会社の土台がしっかりすると考えています。

継ぐモノへのメッセージ

−最後に事業承継やM&Aに興味を持たれる方、または悩まれている方へのメッセージ

泉川氏:最後に中小企業のM&Aについて、この会社を事業承継するに当たって地域の商工会や青年会議所と話をすると、まだまだM&Aに良い印象を持っていない人が多いと感じています。テレビであった敵対的買収とかのイメージを持っている人は少なからずいますが、そのイメージを変えていきたいと思っています。第三者承継をすれば、雇用が守れますし、設備をゼロから建てようとすると1億円とかかかります。工場のある嘉麻市は、そこそこ地方ですので工場がなくなれば困る人が多いと思います。持続可能社会を作るためにも残していくべきではないかと考えています。そのためにも興味を持たれた方は各県の事業承継・引継ぎ支援センターに登録して、企業を売りたいという情報を拾える環境にいた方がいいと思います。

(取材・編集:2021年10月27日、記事再編:2023年)

株式会社スリーサポート 代表取締役
泉川 尚進 氏
1984年生まれ。2006年明治乳業株式会社(現株式会社明治)入社し、広島・岡山・山陰地区で牛乳特約店の事業コンサルを200社以上担当。2016年3月退社。同年4月宅配の宗像屋(明治特約店)開業し、初年度4万件の新規開拓。2年目には年間200以上のセミナーを開催。個人配達先を600軒以上獲得。現在は、株式会社スリーサポート代表としてYouTube向け動画制作などを手掛けるブランディングコンサル業を営む。
会社概要
車検のコバック嘉麻市(有限会社山田自動車)
https://kobac-kama.com/store
自動車整備事業