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200年受け継がれる技術を錬磨し、自由な発想と豊かな感性で新しい日本酒の価値を

耳納連山の麓、筑後平野を悠々と流れる筑後川のほとりで、文政元年(1818年)から酒造りを続ける山の壽酒造株式会社(福岡県久留米市)。

現代表・8代目の片山郁代さんは、代々受け継がれる技術をもとに、社員の多様性とチーム力を活かした、人の心に響く新しい日本酒を提案し続けている。決して妥協を許さず、酒造りに真摯に向き合う姿勢とともに、自由な発想と豊かな感性をあわせもつ片山さん。今回は、承継の軌跡と挑戦について話を伺った。

目次
−創業の経緯を教えてください。

片山氏:山の壽酒造は江戸時代末期の1818年に創業しました。この地は、筑後川の豊かな水と肥沃な土壌のおかげで、古くから米作りが盛んに行われていました。しかし、水が豊かな反面、大雨による河川の氾濫被害に幾度となく見舞われ、「この地に新たな産業を」と、初代が地域の人たちと地元の米と筑後川の伏流水で酒造りを始めたのが、当社のはじまりです。

200年続く杜氏制を廃止し、社員全員で酒造り

−創業から200年もの間、決して平坦な道だけではなかったと思いますが。

片山氏:そうですね。1991年、台風被害で蔵が全壊したこともありました。当時私は小学生でしたが、2年間の休業を経て、地域の人たちの力添えで蔵が再開できたときは、子供ながらにその嬉しさで体が震えたことを今でも鮮明に覚えています。この地で200年酒造りを続けてこられたのは、地域の支えと自然の恵みのおかげなんです。

「自然に感謝し、人々と喜びを分かち合い、驕ることなく、和をもって良い酒造りを行う。」これが、創業から変わらない当社の目指す酒造りです。

創業200年を目前にした2017年に8代目を襲名し、従来の杜氏制から社員全員が酒造りに携わる社員制へと改めました。それぞれの視点から酒造りの現場に関わり、皆で情報を共有し、成長できる会社であるべきだと考えたからです。当社にとって大きな転換でしたが、2019年には全国新酒鑑評会で「山の壽純米大吟醸山田錦38」が金賞を受賞するなど、この挑戦と真摯に酒造りに向き合う姿勢が評価いただけたのだと思っています。

蒸しあがった酒米を放冷機に送りタンクの中へ
麹造り

家業に抱いた違和感と危機感から承継を決意。原動力は、日本酒に対する価値観を変えたいという思い

−8代目になるまでの片山さんご自身の話も聞かせてください。

片山氏:私には姉と弟がいるのですが、もともと弟が継ぐ予定で、姉と私は両親から「早くお嫁に行きなさい」と言われて育ってきました。そう言われて育ったからか、ブライダル業界へ憧れを持つようになり、卒業後はブライダル業界へ就職しました。華やかにみえる世界ですが、これがかなりのハードワークで。早朝・深夜の仕事や研修としての100件飛び込み訪問営業など、仕事の大変さも味わいましたが、それ以上に、私にとって、お客様の思いをカタチにしていくこと、仲間とともに働けることは、大きな喜びでした。

そんな中、仕事終わりに仲間たちとお酒を持ち寄って集まったとき、持ち寄った中にあった日本酒をみた仲間が「日本酒なんか買ってきても、誰も飲まないでしょう」って。日本酒に対する価値観が、私と同世代の子たちでこれほど違うものなのかと衝撃を受けました。その時はじめて、「私は日本酒に対する価値観を変えられる立場に生まれてきたんだ」と気がつきました。

−まさに片山さんご自身のアイデンティティですよね。これが、継ごうと思われたきっかけですか。

片山氏:もうひとつ、きっかけとなる出来事があって。

休日に帰省した時、これまで単なる「家」としかみていなかった場所が、急に「家業」の姿として私の目に映ったんです。新聞を読んでいる社員、数字のことを聞いても全く把握していない社員、そのことに対して誰も疑問に感じていない状態・・・。仕事に邁進していた私にとって、自分の考える「仕事」の捉え方・向き合い方との大きなギャップに、強い違和感と危機感を覚えました。

2000年頃でしたが、日本酒人気が下火で当社も危機的状況でした。継ぐ予定だった弟は、幼い頃からの後継者としてのプレッシャーに嫌気がさし、継ぐ道を諦めてしまっていました。両親も廃業を考えていて、それを聞いた時、「私がこの会社を建て直さないと」と、使命感のようなものに突き動かされ、ブライダル業界からの転身を決めました。

何もしないで後悔だけはしたくない。100件営業でみえた目標

−ご両親はどんな反応でしたか。

片山氏:反対されましたね。業績も厳しかったですし、「女だから」という理由で理不尽な目に遭う可能性もあるって。ただ、何もしないで後悔だけはしたくない、まず精一杯私なりにやれることをやってみようと、覚悟を決めて入社したのが26歳のときでした。

−まず何から取り組まれたのでしょうか。

片山氏:日本酒の人気再来の兆しもみえず、既存先だけでは現状打破できないと思い、流通経路を学ぶためにも、デパート・スーパー・ディスカウントストア・専門店など100件回って、まず現状を把握しようと思いました。前職での飛び込み営業の経験が活きましたね(笑)。

100件回る中で、だんだんと業態ごとの特徴がわかってきて。専門酒販店にお酒を並べてもらえるようになりたいという明確な目標ができました。専門酒販店では、取り扱う商品がどこで、どうやって造られているのかを丁寧に説明してくれます。単なる商品の売り買いだけでは得られない価値をお客様に届けてくれると感じたし、蔵元を育てたいという姿勢に温かみを感じました。ただ一方で、専門酒販店で取り扱っていただくためには、高品質な商品をつくり、ライバルとなる全国の蔵と戦っていかなくてはなりません。

“邪道”とされた「フルーツ梅酒」がチャンスに

−そんななかで見出したアイデアについて教えてください。

片山氏:戦っていくための何か新しいものをと考えている中、ある専門酒販店からの紹介で、「フルーツ梅酒」というカテゴリーを考案した方と出会いました。当時は全く新しいカテゴリーだったので、その方は「フルーツ梅酒」を造ってくれる蔵元を探していたのですが、 “邪道”だと受け止められ、蔵元探しは難航していたようです。

その話を聞いた時、私は「フルーツ梅酒」に日本酒の新しい可能性を見いだした気がして、当社にとってチャンスだと感じました。すぐに社員たちに話をしたのですが、社員たちは「郁代さんが言っている意味がわからん」って(苦笑)。

ただ、そこで諦めるような私じゃありません。社内でやれないのなら社外でやろうと、「フルーツ梅酒」を考案した方を筆頭に社外チームをつくり、「完熟マンゴー梅酒FURUFURU」を世に送り出しました。それが爆発的ヒットとなって、山の壽酒造の名を全国に知っていただけることになりました。

−「日本酒の価値観を変えたい」片山さんの直感と思いがカタチになったわけですね。

技術を錬磨し、自由な発想で新たな価値を生み出す。酒造りの「真行草」とは

−前例にとらわれず新しいことに果敢に挑戦する中で、大切にされていることは何でしょう。

片山氏:日本には千利休が残した「真行草(真を知り、行・草に至れば(作法や業態は)いかほど自由に崩そうと、その本性はたがわぬ)」という芸道の理念に精通する言葉があります。

酒造りにも「真」があります。受け継がれる技術を錬磨しながら、自由な発想で、人の心に響く新しい価値「行・草」を生み出す。その挑戦と試行錯誤の積み重ねが、当社ならではの色と味わいになって、にじみ出てくるものだと確信しています。

「山の壽純米酒雄町」 (第七回福岡県酒類鑑評会にて県知事賞受賞)
「山の壽純米酒山田錦宗像日本酒プロジェクト」 自然栽培の稲作回帰プロジェクトで収穫した米から醸造 (令和二年福岡国税局酒類鑑評会にて金賞受賞)
−「行・草」として、次はどんな挑戦をされていますか。

片山氏:「ヤマノコトブキフリークス」という山の壽の変わり種として、新しい日本酒シリーズを展開し始めました。4MMPという爽やかで今までにない香りの日本酒や、経済産業省の「ものづくり補助金」を活用して独自開発した特殊製法「泡沫(うたかた)発酵製法」による醪由来の発泡感ある日本酒など。「日本酒のイメージが変わる」「飲みやすい」と欠品になるほど好評をいただいていますが、日本酒の新しい楽しみ方・価値提案を追求するため、社員一丸となって、更なる製法改良に取り組んでいます。

社員一人ひとりの個性と多様性を活かす

−最後に、片山さんの夢を教えてください。

片山氏:今、私は「山の壽酒造」という「パズル」を作っている最中なんです。社員一人ひとりの個性という“ピース”をはめ込んでいるところ。鮮やかな色合いになるも、濁った色合いになるも、私次第。虹色の「山の壽酒造」を創りあげるため、社員の個性、多様性を活かせる経営者でありたいです。

「お母さん、仕事楽しそうだね」が日々の目標

片山氏:私もここ最近、事業承継の難しさを改めて痛感します。2人の息子がいますが、彼らには自由に自分の人生を歩んでほしい。だから、「お母さん、仕事楽しそうだね」と言ってもらえることを日々の目標のひとつにしています。今のところ、息子たちからは「お母さん、人生(仕事)楽しそうだね」と言ってもらえています(笑)。この積み重ねの先に、彼らの人生の選択肢のひとつに「山の壽酒造」が入れば嬉しいですね。

継ぐモノへのメッセージ

−次の一歩を踏み出そうと頑張る後継ぎが、九州にもたくさんいらっしゃいます。そんな仲間たちに一言お願いします。

片山氏:組織には鋼のような強さではなく、柳のようなしなやかさで、決して折れない強さを持つことが大事です。どんなに困難な状況に陥っても、それをプラスに捉えて立ち上がり、いい状態に復元していく力がきっと会社も自分も強くしていくことだと思います。失敗することを怖がらないでください。

(取材・編集:2022年2月22日、記事再編:2023年)

山の壽酒造株式会社 代表取締役
片山 郁代 氏
1979年福岡県久留米市生まれ。3姉弟の次女。ブライダル会社を経て、2006年26歳で山の壽酒造株式会社(当時:山口合名会社)に入社。経営・財務・造りの改善に取り組み、2017年37歳で8代目代表取締役に就任。
「Good Times with Yamanokotobuki」をコンセプトに、前例にとらわれない自由な発想で新しい日本酒造りに取り組む。
会社概要
山の壽酒造株式会社
福岡県久留⽶市北野町⼄丸 1・2合併番地
https://yamanokotobuki.com/
1818年創業の酒蔵