西日本新聞朝刊2023年(令和5年)01月15日(日)付
柳川ソウルフード」と書かれたのぼりが掲げられたそばには、鮮やかな緑色のキッチンカー。35年も使い込まれた銅製の鉄板のくぼみに生地を流し込み、具材を入れる。焼き加減を入念に確かめながら、スピード感のある手さばきで一つ一つを返していく。 柳川市民に長く親しまれてきた「まよい焼き」。高﨑貴美代さん(79)=筑紫野市=が1988年、夫が柳川市内で営む電気店の一角で「まよい焼き でんちゃん」を開店。「種類が多くて迷うから」と長女が名付け、「でんちゃん」は長女の当時のあだ名だ。 1個100円ほどの手軽さですぐに人気になり、路地裏の店の前は小中高校生の自転車で埋まった。カリッとした皮に包む具材は白あんや黒あんのほか、ピザやコーン、チリポテトなど14種類にもなる。2度移転し、柳川市中心部の伝習館高近くにあった店舗を昨年6月に閉めた。 「なくすのは、もったいない。受け継ぎたい」。子どもの頃から思い出の味を守ると決めた石橋さんの動きは速かった。福岡県事業承継・引継ぎ支援センター(福岡市)に取り持ってもらい、昨夏に高﨑さんと面談を重ね、後を託された。 同10月上旬から1カ月半、高﨑さんが付きっきりで教えた。秘伝だった生地の粉の配合、絶妙な火加減、具材の分量―。生地はその日の湿度で膨らみ方が変わる。焼きながら素手でひっくり返すため、初めは水ぶくれした指先の皮は分厚くなった。提供し始めた頃は、少し焦がして客に怒られた。今も火加減には一番気を使う。気温や風も影響する。「火が弱いと生地が膨らまず強いと焦げる。火に追いつくスピードが必要」 同11月下旬、柳川市内のイベントに出店した。最後の指導の日。2人で横並びに焼いた。その前日に師匠は「もう大丈夫」とお墨付きを与えていた。「35年も鉄板と向き合ってきた経験を伝えてもらった」。石橋さんは感謝に堪えない。 自身が経営するカフェの敷地にあるキッチンカーには、高﨑さんが店先に掲げていたのれんが掛かる。石橋さんには夢がある。「まよい焼きを市外でも多くの人に知ってもらいたい」。それは、かつて佐賀市にも店を構えていた高﨑さんの願いでもある。2人の夢を乗せてキッチンカーが駆け巡る。 (河野潤一郎)